20代で起業した、30代経営者たちが語る「若手起業家の実態」とは?〜苦労の日々から、経営を楽しむに至るまで〜DIG KYOTO vol.2 イベントレポート

20代で起業した、30代経営者たちが語る「若手起業家の実態」とは?〜苦労の日々から、経営を楽しむに至るまで〜DIG KYOTOレポート〜

いつか起業したい。そう思いつつ、「ハードルが高い」「リスクが大きいのでは?」「何からやればいいのか分からない」と、行動できずにいる人も多いのではないでしょうか。

2019年4月6日(土)京都にて、3名の30代前半の若手経営者(株式会社美京都 代表取締役 中馬一登さん、株式会社utuwa 代表取締役 中島健介さん、株式会社mannaka 代表取締役 柴田 雄平さん)をスピーカーに「若手起業家の実態」について語るイベントを開催しました。

主催コミュニティ「DIG」の運営をサポートするitty selection Inc. CEO兼PRライターかみむらゆいがレポートをお届けします。

最初から「ここだ!」という道が、あったわけじゃない。起業家になるまでの経緯

柴田 雄平(以下、柴田):僕は33歳、中島健介は34歳、中馬一登は31歳。みんな20代で起業して、まだギリギリ若手と呼ばれる年代です。まずは、それぞれどんな経歴なのか聞いてみたいと思います。

中島 健介(以下、中島):僕は現在、京都で飲食店を経営しています。

大学生のときにインターンで教育系の事務職についたのですが、まったく向いていなかったんですよね。パソコンのキーボードを3回叩いたら、もう眠くなるくらいで(笑)

そのあと、広告営業をする会社でインターンしたときは、けっこう成果を出せたんですよ。そこで、自分にはモノを売る才能があるなと確信しました。

小学生のころから“社長”に憧れていたこともあって、改めて起業を意識しましたね。

柴田:でも、起業したのは居酒屋だったんだ?

中島:そう。結局アルバイトしていた居酒屋がおもしろくて、そのまま就職したのが23歳でした。でも「俺は、いつか居酒屋をやめるんや!」って言いながら働いてましたよ。

26歳のころ、東京の店舗にいたんですが、ついに「やめよう!」と思って逃亡したこともありました。三軒茶屋から横浜まで、ママチャリで逃げたんですよね。

でも、やっぱり迷いもあって、横浜から先輩に電話したんです。話しているうちに「逃げずに正式にやめる」ことに決めました。「いい運動ができて、いい感じに息も抜けた」ってだけの1日になりましたね(笑)

務めを果たして、ついに起業したのが29歳です。

柴田:中馬は、どんな経歴で今に至るの?

中馬 一登(以下、中馬):僕は就活のとき、当時、自分が通っていた大学から入社できたらめちゃくちゃすごい!と言われていた会社に、300人ほど面接者の中から内定をもらったんですよ。

僕が優秀だったわけではなく、むしろ自分が勝てるわけがない状況だったんですけどね。グループ面接のとき、周りはスポーツの全国大会で優勝していたとか、成人式で代表スピーチをしたとか、そんな人ばっかりで。ある意味、吹っ切れたんです。

そこで、「入社したらどんな仕事をしたいですか?」と質問されたときに、「あなたたちが見るべきなのは、これまでの実績じゃなく、入社後に価値を出せるかというポテンシャルじゃないですか?何も知らない新入社員がやりたい仕事を選ぶべきじゃないと思います!まず1年めで死ぬほど仕事して、成果を出して、そこで初めてチャンスをもらうべきやと思います!僕は、やりきります!以上です!」と言って、立ち上がって、帰ったんです。

同じグループ面接に友人もいたので「あれは、やりすぎやで」と言われたものの、それが功を奏して内定をもらうことができました。

内定後は大学に通いながらインターンをすることになるのですが、内定先の先輩がすごく体育会系の厳しい人で。ムカつくことや大変なことはあったけど、彼のおかげで「自分は何のために仕事するんだろう?」「何が、自分の幸せなんだろう?」ってことを考えるようになったんですよね。

そして、数か月して内定を断り、大学を休学して海外をバックパックで周ることにしました。

帰国後、就職のタイミングで東日本大震災が起こり、震災支援をするために東京へ行きました。当時、働くことになった会社はブラック企業と言えそうな会社で、社長とも反りが合わなかったんですよ。でも、経営者になるために勉強したかったので半年ほど業務のほかに社長のカバン持ちもしていました。

柴田:結局、起業をしたのって何歳のころだったの?

中馬:26歳でした。

柴田:なるほど。僕のことは、会場にいる人は全員知ってるから省略して、経営のことを聞いていきたいと思います。(※本ページ下部にプロフィール記載)

苦労も多々。毎日の経営に精一杯だったころもあったけど、今はすべてが楽しい

柴田:今だから言える「起業してからの苦労」って、ありますか?

中馬:20代の頃、カフェバーをやっていたときは、しんどかったですかね。

自分のなかでは「経営で世界を変えたい!」くらいの大きな野望を持っていたけど、現実は毎日の運営に精一杯。

そんな中、深夜の帰宅時、繁華街を通ると楽しそうに飲んで騒いでいる同年代がいて……。そういう人たちへの嫉妬心を反骨心に変えて、自分を駆り立てるようなことを繰り返していた時代もあります。

でも、今は経営のすべてを楽しめています。

事業が大きくなるほど、動く金額も大きくなるし、課題も大きくなる。経営には、常に”波”があるものなんだと思うんです。だけど、何度も経験したからこそ、今は、それも楽しいと思える余裕ができました

中島:僕の場合は、そんなに大きな苦労というのは、ない気がしますね。

ただ、思い出して「あれは結構、大変だったな」と思うのは、店長になってもらうために時間をかけて準備していた女性が妊娠して、急にいなくなってしまったことでしょうか。予定を変更して、自ら数か月お店に立ったりと大変でした。

柴田:なるほど。

うちが一番辛かったのは、取引先から数千万円が振り込まれなかったときですかね。

そのプロジェクトのために自社から外注していたものもあったので、借金ができただけじゃなく、決算報告書の処理上、売掛金がすごく多くなって支出はめちゃくちゃ出ていて……とバランスシートが最悪の状態でした。それによって、借り入れもできなくなっちゃったんですよね。

がんばって2年で返済を終えたんですが、それでも経営の成績として残ってしまうので、7年めにしてようやく借り入れしやすくなりました。

あのときの経験から「どれだけ信頼していても、なるべく契約書をしっかり交わそう」という経営方針になりました。

そうやっていろんなことがあるし、人間って基本的に怠惰だから、言われたことをやるほうがラクな生き物だと思うんですよ。でも、一度経営者になると、絶対にこっちのままでいたくなりますよね。楽しいので

いつか起業したいなら、今から小さく経営シミュレーションをするといい

柴田:アドバイスとして、起業する前にこういうことをやっておけばいいよってことはありますか?

中島:これから起業をしたい人には、なんでもやってみてほしいですね。

とくに、居酒屋の仕事ってルーティンなので、正直、そのなかに成長の機会ってほとんどないんですよね。だから、居酒屋での仕事以外のことを、なんでもやってみてほしいです。

例えば、僕は、高校1年生のときから小さい商売をしていたんですよね。

地元から大阪の中心街へ行くときなんかは、おじいちゃんやおばあちゃんから7万円くらいもらってたんですよ。そのお金を元に、当時流行っていたアパレルブランドの服を買ってオークションサイトで転売していました。

6000円で買ったものが8000〜9000円で売れたり、15000円で買ったものが30000円で売れたり……。そうやってお金を貯めていたんですけど、そういう経験が今でも役に立ってる気がしています。

柴田:若い頃から、モノを売る感覚に慣れていたんだね。

中馬:自社の事業のなかで、高校生にプロジェクトを任せることもやっているんですが、これがすごくいいんですよね。

「自分自身でやるしかない」っていう野性的な感性や思考力って、いざという環境にならないと発達しないものだと思うんです。大変だと思うけど、これを経験していると10代の高校生でも、そういった経験がない20〜30代の大人以上にいい発想ができたりして。

どうせリスクを背負うなら早い方がいいと思うし、今は若いうちから経験できることが多いから恵まれていますよね。

中島:今やりたいことが目の前にないとしても「何か、自分ができることはないですか?」って、周りの大人に聞くだけでも道が拓けたりしますしね。

今ってフリーランスとかいろんな形態があるので、昔ほど「独立」ってハードルが高くないし、遠いものじゃなくなったじゃないですか。

今後ますます誰でも独立しやすくなって行くからこそ、早く動いたほうが得ですよね。

柴田:もし、今、具体的な事業内容とかを考えていないなら、まずは「100円を稼ぐには自分には何ができるのか?」ってくらい簡単にして考えてみたらいいと思います。

お金をもらうっていうのは、「もらうだけの価値を伝える」ってことでもあるので、伝え方やプレゼン能力を磨くのもいいですよね。

あとは、どこで起業するのかってのを考えるのも大事。

たとえば、東京はいいサービスを作れば買ってもらえるけど、地方だと「サービスどうこうの前に、まず飲めよ」というような”つながり”を重視する傾向が強い地域も多かったりしますよね。

そういう意味では、東京は資金も集まりやすいし、起業もしやすいんじゃないかなって思います。

これからは次世代や周りを輝かせることで、社会に貢献したい

柴田:僕たちって、出会ってから5年ほど経っているけど、当時はみんなもっと尖っていた気がするんですよ。ここ最近丸くなったなって。どうしてなんだろう?

中馬:うちは兄弟で経営しているんですけど、自分たちしかいなかったときは自分のことだけを考えていたような気がします。

でも、この会場にも来ている、若くて可能性あるメンバーが自社に入ってきてから変わりましたね。親のような感覚を持つようになったというか。

中島:僕は、結婚したことが大きかったかもしれないですね。守るものがある以上「最終的に、自分だけが背負えばいいや」とは思わなくなったので。逆にひとりで背負わなくなったことで丸くなったのかもしれません。

柴田:なるほど。では、最後に、今後どうなっていきたいという展望はありますか?

中島:会社としては「世界の人たちをほっこり温かくする」というのがミッションなんですが、個人的には「自分自身に生まれてきてよかったと思える人を増やす」というが使命だと思っています。

たとえば、手がない人には、手がない人にしか伝えられないことが、きっとありますよね。人前で話すのが苦手な人なら、ひとりで没頭できる時間に成し遂げられるものがあるかもしれないし。

「自分じゃない誰かになりたい」ではなく「自分でよかった」と言える人を、もっと増やしたいです。

中馬:僕は、誰かの希望となる人・会社でありたいというのが、ずっとあります。「やっぱりお前は、おもしろいな〜!かっこいいな〜!」って周りから言われるような。

承認されたいというよりは、そうやって周りを感動させつづけたいという気持ちが大きいです。

あと、同じように、世の中の希望になるリーダーを、どんどん生み出したいですね。会社を任せたり、フリーランスを輩出したり。

「どういう世界をつくって、どういう社会への貢献がしたい」って、言葉にできる人・伝えていける人を増やしたいんです。影響力を持つリーダーが言うからこそ、本当に世の中を動かすことができると思うので。

「育てたい」という想いはあまりないんですけど、「自分が若いときにこういう兄ちゃんたちに出会えていたらよかったな」と思うから、そういう存在でありたいです。

中島:あと僕は、これからも「こいつ、何かしらやってくれそうだな」って思える人と、ずっと付き合っていきたいです。

ふたりとも(柴田・中馬のこと)「絶対、10年後もっとおもろくなってるだろうな」って思うんですよ。年齢は関係なくて、若い子でもいいし、50歳の人でも「この人は60歳になったら、もっとおもろいやろうな」って思えれば一緒にいたいですね。

柴田:僕は、ダサい自分をさらけ出せる関係性をつくっていたいです。経営者ってかっこいいところばっかり取り上げられがちだから。

これは人間としての展望になるんですけど、「身近な人だけを幸せにする」というのを決めてるんです。身近な大切な人たちが「幸せじゃない……と思ってしまうことを起きないようにする」ってことに、自分の命を捧げたい。

そしたら、その人がまた近くの人を大切にするじゃないですか。そうやって、自ずと社会がよくなっていけばいいですよね。

 

●登壇者プロフィール
・中馬 一登(ちゅうま かずと)氏
2011年京都産業大学卒。在学中は就活を始めるものの自身のサラリーマンスキルのなさと”世界を良くしたい”という野望に突き動かされ就活を辞め海外でバックパッカーとなる。帰国後復学し、卒業。

その後東北へ震災ボランティアに参加しながら現地での起業を計画するも、ボランティア団体の資金ショートにより東京にてボランティア団体の資金集めを行うための事業に強制参画される。

その後地元の京都に戻り兄弟3人で株式会社美京都(みやこ)設立。人材・教育事業や観光事業、地方創生事業を手掛け、京都市や大阪市、舞鶴市と提携し若手の活躍を推進するプロジェクトなど多数企画・開催している。

自身は世界経済フォーラムによって任命される33歳以下の若者によるコミュニティ「GLOBAL SHAPERS」に所属し、スイスで開催される国際会議などにも参加。世界が注目する実業家の一人。

株式会社美京都(http://miyako.kyoto.jp/

・中島 健介(なかしま けんすけ)氏
1984年5月8日 兵庫県豊岡市出身
大学3年生の頃、インターンシップで教育系NPOで約一年勤務後、広告営業を経験。大学4年生の時に居酒屋てっぺんという店に惚れ込み、飲食業界に入る。

29歳の時、居酒屋で独立。「おうちごはん中島家」を立ち上げる。
2017年、2店舗目となる「京町家おばんざい こはく」を同じく京都に出店。
2018年、法人化し「株式会社utuwa」を設立。
「人の情熱と才能を活かし、活躍出来る会社」を目指し、日々奮闘中。

株式会社utuwa(https://utuwa-kyoto.jp/

・柴田 雄平(しばた ゆうへい)氏
株式会社mannaka、 onakasuita 株式会社、株式会社tilde 代表取締役社長/ 株式会社utuwa 取締役。

埼玉県の高校卒業後、調理師専門学校にて調理師免許を取得。 ヨーロッパ6カ国へバックパック、外食事業及び商品開発、マーケティングを経験。 onakasuita株式会社(2013年)、株式会社mannaka(2015年)、そして株式会社mannakaの子会社として株式会社tilde(2018年)を設立。土日祝日休みの外食事業からマーケティング/経営の企画・開発・広告・改善までを一気通貫でサポートする伴走型事業や、女性向けオーガニック化粧品などの商品企画/開発・ネット通販事業も手がける。

特に、オフィスを持たない株式会社mannakaでは、自身だけでなく従業員全員が既婚率100%・フルリモートという「新しい働き方」を実践している。

株式会社mannaka(https://mannaka-mk.jp/

●記事制作
itty selection Inc. (https://www.ittyselection.com/
PR/キャリア/海外の3つの軸によって、企業や人びとの「セレクト」=「価値のある選択」をサポートする会社です。東京・ニューヨーク・ハワイの日系企業やブランドのPR、PRパーソンやフリーランスの育成、NY&ハワイとつながるサービスなどを手がけています。代表取締役:上村由依/所在地:東京都渋谷区。

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