時間や場所にとらわれない自由な働き方を実現している2名に聞く「日本全国で仕事をつくる方法」~DIG OKINAWAイベントレポート~

時間や場所にとらわれない自由な働き方を実現している2名に聞く「日本全国で仕事をつくる方法」~DIG OKINAWAイベントレポート~

経団連の中西会長やトヨタ自動車の豊田章男社長など、経済界の重鎮が相次いで終身雇用の見直しについて言及する中、「一社だけに所属するままで良いのか」「今の生活が守れるか怖くて一歩が踏み出せない」と、不安な人も多いのではないでしょうか。

2019年5月14日(火)沖縄にて、2名の自由な働き方を実現している経営者(itty selection Inc. 代表取締役 上村 由依さん、株式会社mannaka 代表取締役 柴田 雄平さん)をスピーカーに「日本全国で仕事をつくる方法」について語るイベントを開催しました。

何かに挑戦するときは、今ある環境を手放すことも重要

上村 由依(以下、上村):元々、奈良出身で高校は大阪に行きました。理由は、育った奈良は小さなまちで暗黙の了解の常識が多くあり、窮屈だなと感じたからです。大阪出てからも、まだまだ世界は広そうだなと思い、大学進学のタイミングで上京しました。

上京後は、周りの学習意欲の低さと就職活動に違和感があり、大学中退を選択しました。通っていた大学は推薦やエスカレーター式で入学してきた人が多く、きちんと勉強をしてきた人・勉強したい人が少ない状態でした。
私は、わざわざ奈良から東京に出てきたこともあり、「きちんと勉強をしたい」と思う一方、時には流される自分も居て…という生活の中で、これまでチャラチャラしていた周りの人たちが、就職活動時期になると急に、髪の毛を真っ黒に染め、みんな同じスーツを着始める場面をみて、「これって気持ち悪い!私には出来ないな。」と感じ大学を中退しました。

中退後は、アパレル企業に就職しました。社員で採用されたとはいえ、店舗で服を売るところから始まりました。私は大学を辞めているので、「このまま負けているわけにはいかない」と思い、池袋の大きな店舗にて入社後3ヵ月間個人売上1位をキープしていました。が、今から10年前の企業の出世のシステムは年功序列が一般的で、結果を出しているのに評価がついてこない環境にやってられないなと感じ、ニューヨークに行くことを決めました。

①ファッションの専門スキルを身につけたい

②海外の人にももっと服を売ることができるように英語が話せるようになりたい

③年功序列ではなく実力主義の環境にいきたい

この3つが揃う場所はニューヨークだと思ったからです。さらに、ニューヨークに行って、ファッションの専門スキルで何を身につけようかな(例えば、デザイナー?バイヤー?)と考えていたときに、「ファッションの中でもPRという仕事はどう?」とカッコイイ大人に言われて、PRのスキルを身につけることを選択しました。
その方は、日本で3番目に大きな広告代理店ニューヨーク支社の副社長であり、タイムズスクエアのカウントダウンイベントを仕切っていて、視野も広く知見もある方でした。そんな方が、私にPRを勧めてくれるのなら信じてみようと思い、50社のPR会社にアプローチし、PRの道がスタートしました。

そして、PRの仕事を通して様々な人や企業と出会い、「世界にはこんな人が居るんだ!」「あんなことできるんや!」と刺激を受けることが多く、好奇心が満たされ続けるなと感じたと共に、生き方や働き方ってもっと自由に好きにして良いんだなと考えるようになりました。

柴田 雄平(以下、柴田):僕は高校3年の12月にサッカーのプロ試験でメディカル面が問題で落ち、サッカー選手の次に女性にモテる職業は料理人だと思い、専門学校に1年間通うことにしました。

その学校の現場研修期間中に、朝7時~夜中の0時までフレンチ店で働き、日本の長く働くことを良しとする習慣を目の当たりにしました。卒業後、レストランに就職するも何十人の見習いの中で2.3人が残れば良いというアルバイト以下の扱いをされる環境の中、初任給は12万円・休日は日曜の昼間だけという経験をし半年で体を壊して退職しました。

退職後は、バックパッカーとして世界中を回りました。海外に行って驚いたことの一つは、家に帰ってくる父親がとても多いことです。基本的に、子供を学校に見送ってから働きはじめ、ランチタイムになると妻の料理を食べに一度帰宅し、子供が学校から帰ってくる時間には父親も終業し帰宅しているといった生産性の高い働き方をしていました。

もう一つは、自分の仕事に対してスペシャリストとして誇りを持っている人が多いことです。隣の家で同じ業種で競合していることもあるのに、「自分のつくるチーズが世界一だ!」と互いに言いながら、互いのつくったものを食べ合う関係性が町単位で起きていて、とても良いなと思いました。
僕も「家族の時間が大切にできて、もっとスペシャリストとして仕事を誇れる経営者になる!」と決めて日本に帰国しました。

帰国後は、外食・マーケティング・商品開発事業部があるベンチャー企業に7年間勤めました。予め、7年後独立することを上司に伝え、資金となる1,500万円を貯金できるにはどうしたら良いかを聞き入社しました。

実際には独立するときに、当時住んでいた家・車・服などを売って、資金に当て込み、店に住む生活からスタートしました。
僕は自信家なので、いろんなものを手放すことに特に怖いとは思わず、常に「僕が飲食業界で成功しないわけがない」って思っていました。無収入期間も経験していますが、次の年に今年の分も取り返す気持ちで頑張りました。

上村:私も挑戦することは怖くないです。が、自分に過信することはなく、堅実に絶対に成功する方法しか取らないです。自分もできる・成功する証拠をきちんと集めてから行動するので、全然不安はなかったです。

例えば、PRという仕事はこれから日本で確実に必要とされるだろうということが分かっています。元々、PRはアメリカで生まれ、日本よりも8~10年先を行っています。過去にニューヨークに居たこともあり、アメリカの情報が入ってきたり、どんな流れがくるかをイメージすることもできます。他の業界でも言えますが、やはりアメリカで需要があるものは、数年遅れで日本もその流れが入ってきます。

私がニューヨークに居た頃、現地の友人はみんなFacebookを利用していたのに、日本の友人は誰もやっていない、まだmixiをしている状態でした。が、数年経つと日本でもFacebook利用者が増え始めていきました。PRも日本ではまだまだ認知は少ないですが、確実に需要が増え始めていることを実感しています。

他にも、まだ会社員の頃、フリーランスになりたいと思ったら、フリーランスの友人を増やし、経営者になりたいと思ったときは、経営者の友人を増やしました。ここでポイントなのは、なりたい像の人たちとの歳が離れすぎると時代や状況が違って自分にできると思いにくいので、同年代なのに上手くいっている友人を増やすことを意識しました。そこでしっかりと自分でもできる証拠を集めていきました。

自分が培ってきたスキルや実績は場所が変わっても自分を助けてくれるもの

上村:私は27歳のとき、東京でフリーランスになりました。でもその当時は世界中で仕事をするなんて10年後くらいかなと思っていました。でも4年半経った32歳現在、世界中で仕事をすることが出来ています。特に生き急いだわけでもなく、フリーランスから経営者になるまでにいろいろありました。

フリーランスって周りから、「20代女子だし1人でよく頑張ってるね!」と応援されやすいんです。フリーランス女子同士で愚痴言ったり励まし合ったり横の交流もしていたのですが、法人化するってなった途端、「あそこは法人化するくらいだから儲かっている」「おじさん経営者と仲良いし枕営業してるんじゃないの?」のような噂が回りはじめ、無視されたりと中学生の女子関係でありがちな状態になりました。
同時期に同棲していた彼に人生で初めて振られ、家を無くし、ホテル暮らしをしばらく続ける中で、東京に居ることがしんどいなと感じました。

そんな中、実家に長く帰っていなかったこともあり、月の1週間くらいを奈良の実家で過ごす生活を数ヵ月続けてみました。すると意外に奈良に居てもSkypeなどのオンラインツールを使ってリモートで仕事が回ることが分かり、東京以外でも仕事できることって良いなと思い、疲れを癒すことも兼ねて3ヵ月間ハワイへ行くことにしました。

ハワイに行ってみたら、心もだんだん落ち着いてきて元気になりました。そこで東京であった出来事やハワイに居ることをFacebookに投稿してみたら、いろんな友人から「ハワイに親戚が居るから紹介するね!」「うちの会社の支社がハワイにあるよ!」とメッセージが届き、ハワイでもネットワークが広がりました。
私はその時にPRというスキルを持っていたので、出会った人たちにどうやったら仕事がうまくできるかを教えることが出来たんですよ。そこからハワイでの仕事も増えていくようになって、「全部失ってもいいや」って思ってハワイに行ってみたけれど、自分が培ってきたスキルや実績はどこにいっても自分を助けてくれるなって思いました。
なので東京に帰ってきてからも、東京だけにすがるのではなく、地方に行ってみたり海外に行ってみたりと、自分が貢献できるスキルや強みを使って場所にとらわれない生き方を確立しています。

全国で活動するフリーランスになることはゴールではない

 柴田:よくフリーランスになることがゴールになっている人がいると思いますが、フリーランスになることをゴールにせず、フリーランスになった先に誰を幸せにしたいか、誰の役に立ちたいのかをゴールにすることが大切かなと思います。

その本来のゴールに行くための武器(スキル)をいくつ持つのか、さらに自分で持つのか他社と持つのかを考えたら良いと思います。例えば、僕の会社の場合、マーケティングは得意なのですが、PRが苦手です。
なので上村さんの力を借りています。個人の生活でも同じだと思っていて、自分で完結するのかみんなで完結するのかの話で、ひとつのスキルを100点まで持っていくことに時間がかかるのであれば、ひとり20点でもチームで100点が出せるチームを組めば良いかと思います。
要は自分の得意・不得意をきちんと把握して、フリーランスの先を考えていって欲しいですね。

上村:「自分がやってみたい!」って思ったら、今すぐにフリーランスになっても良いと思います。何年間、何かの下積みがいるかどうかよりも、仕事が回ってくるだけの繋がりがあるのか、自分でやっていけるかどうかの自分の納得感が必要かなと思います。

例えば、「にわとりが先か、たまごが先か」のように、先に肩書きを名乗ってしまって、そこに技術やスキルを合わせていくのもアリだと思います。PRの仕事をしていると、やったことがないことでもクライアントからお願いされることもあります。
そのときは、受注してから頭を振り絞ることになります。どれだけスキルが上がってもそういう状況はうまれるので、「これが100点!」と思うことってあまりないかなと思います。常に学び続けることが大切だと思います。

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